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カナイケイスケ

サーカス・アーティスト「金井ケイスケ」、またはパフォーマー「ケイスケ」のページ

2007 08/01

サーカスアートの国フランス パート3

2001年7月フランス国立サーカス大学CNACでの研修報告から、現在のフランスサーカスを検証する試み


サーカスアートの国フランス パート3

<現代サーカス失業問題/フランスの状況> 
                                                   僕がフランスにきた頃、サーカスは流行の波に乗っていた。
その波は今以上に熱かったと思う。
サーカス教室はあちこちで増えて、親達は子供をバレエ教室に行かせるより、もっと庶民的なサーカス学校に行かせる事を望み、それと同時に教師の数も増えていった。
サーカス学校に通う子供たちや、子供を通してサーカスを見直した大人たちが観客となって、公演にやってくるようにもなった。


「観客が増えたから、公演をする側のアーティストは仕事があっていいじゃない」と言われるけど、サーカスそのものはアーティストが増えすぎたために仕事は減っている。
かわりに違うジャンルでも働くのが今では常識だ。僕もダンスカンパニーの仕事もしている。
サーカステクニックがあればなんとか食べていけた時代はすでに過去のものだ。

需要と供給のバランスの問題。
そもそもカンパニーの数が多すぎる。
アーティストも沢山いる。
この世界には就職なんて事はありえないから、どこかで出演するか、自分たちで作品つくるかしかない。
だからそれ以外の時間は世間で言ったら失業者。
フランスは約八ヶ月のアーティスト手当がある。でもその資格は最近は取りにくく、やっと取れても失うのはあっという間だ。
その資格を失い、さらに蓄えもなければ路頭にまようしかない。


サーカス学校もアーティストを輩出しても、仕事があまりないのがわかっているのか、教育者を育てる事にも力を入れはじめているし、プロのアーティストの再教育にも熱心だ。
しかし、これ以上教師やアーティストを増やしても、仕事はそんなに増える事はないだろうから、結局はサーカス失業者を世に沢山出す事になる。


このあいだ出会った、60才を超えたパリの手回しオルガンの歌手の話しを思い出す。
「おれは若い頃マイムやってたんだ。あの頃はマルソーやルコックとかすげーもてはやされてたし、マイムで作品やってたらしっかり食べていける時代だった。俺の周りはマイムだらけだったぜ。
でもある時から全然仕事が無くなって、マイムは過去のものになっちまった。なんでもそうだけど世の中には流行ってものがあるからな。観客ってのは非情なもんよ。そのまっただ中にいるとよく見えないけど、流行が去った後はそりゃ寂しいもんよ。
おれは歌も好きだったから今でも人前に出て似たような仕事してるけど、あのときの仲間はどうしちまったのかなぁ…」
                                                                                                           
 thumb_1185925804.jpg  
手回しオルガンをやらせてもらった!                                                                                
そのおじさんの時代は、大道芸人がもてはやされた。
70年代から80年代のあいだパリにはいたるところに大道芸人がいて、ジャグリングやパントマイムが見られたそうだ。
当時の写真を見ると、火吹き男や一輪車、ジャグラーなどがパリの広場で、ところ狭しと芸をしている。
そして今となってはそのほとんどが何処かへ消えてしまった。
その中のほんの一部の人たちが、ブームが去る前に、新たなシルクのムーブメントをつくり出し生き残った。

年をとって体力の無くなったサーカス芸人はピストを去るしかない。
ダンサーなら振付家になるか、先生になるか、マネージメント業に転向する。
だが、引退したサーカス芸人はどこに行くんだろう。

<芸術家の天国フランス>というイメージは未だにあるようだけど、フランス社会もなかなか厳しい。

完全に失業した時は、ゴレンジャーに変身して、ヨーロッパにヒーローショー旋風でも巻き起こすかな…。

<パート4につづく>




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