カナイケイスケ

サーカス・アーティスト「金井ケイスケ」、またはパフォーマー「ケイスケ」のページ

2005年03月 | ARCHIVE-SELECT | 2005年05月

| PAGE-SELECT |

≫ EDIT

東、南アフリカツアーのほぼ最終スケジュール

あいかわらずツアーしてます。スイスから帰って来たばかりで、こんどはアフリカ2ヶ月程行ってきます。  なかなか日本人はいませんが、もしかして海外青年協力隊が…、ということもあるので一応スケジュールを書いときます。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 <2005年 南アフリカ〜東アフリカツアー> Bougez pas bouger(ブジェ・パ・ブジェ) の公演スケジュール ●ボツワナ/ハボロネ  4/15日  開演 20H  場所 maitisong festival ●モザンビーク/マプト 4/19  20H  CCF(centre cultrel francais) ●ナミビア / ウイントフーク 4/21 20H National Theatre of Namibia ●スワジランド /ムババネ4/24 16H Waterford international school ●ジンバブエ /ハラレ(※4/26 20H ソロ即興)4/27 20H 7arts ●ザンビア /ルサカ 4/30 18H30 Lusaka playhouse ●南アフリカ /ケープタウン5/2、3  場所未定(サーカス学校内の可能性あり) ●エチオピア /アジスアベバ5/7 19H 現地の高校、もしくはアリアンスフランセーズ内 ●ジブチ /ジブチ 5/12 19H CCF・AR ●エリトリア / アスマラ 5/16 19H Cinema Roma ●ウガンダ /カンパラ 5/21 20H National theatre ●コモロ /モロニ 5/24 20H30 salle Al Camar ●モーリス島 /モーリス 5/28 20H Port-Louis Theatre ●セイシェル /ビクトリア 6/1  時間、場所未定 ●マダガスカル /タナナリヴ 6/4 19H Tananarive CCAC  モロッコツアー日記が終わる前に、また出発か…。 ではみなさまご機嫌麗しゅう…。

| アフリカツアー | 09:02 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

モロッコ・サーカスの旅7

モロッコのアシラのメディナ(旧市街)は真っ白な壁の建物がならび、他の町のメディナに比べるとのどかで清潔だ。そして海と太陽と壁画が、一日だけのバカンスの為にここに来た僕らを和ませてくれる。 1113331170.jpg 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜                                                                      アシラの町でやっとビールを出してくれそうな店を発見。 メニューには載ってないけど出す事はできる、ということは<ホントはアルコール出せないんだけど、内緒であなた達に提供しますよ>ということらしい。 そもそもモロッコでアルコールを出せるのは国からオトリゼ(許可)されてる店だけで、そうすると町の中心地にある外国人が多く泊まるホテルのバーかレストランという事になる…。ぼくらがいるのはオトリゼされていない定食屋だが、危険をおかしてまでビールを提供してくれるなんて、なんて親切でできた人達なんだろう。というわけでビールを欲しがるフランス人達の為に、ウェイターの若いにいちゃんはビールを求めてどこかへ出発していった。 さて、テラスで待つ事30分。おつまみで出て来たオリーブも全部食べ尽くし、太陽の下でひからびそうになっている三人(ジェフ、フレッド、セバスチャン)の横で、ビールを昼から飲まない僕とマリアナは最後のミントティーを飲み干す。その横で三人がしびれを切らして「あいつどこまでいったんだ、いくら何でも遅すぎる」「きっと警察に途中で捕まったんだ」「いや、どこいってもビールが見つからなくて探し歩いてるんだよ」と話している。 結局まつこと40分。ウェイターの若いに−ちゃんが遠くのほうからやってくるのが見える。片手にぶらさげている黒いビニール袋には瓶ビールが入ってるようだ。そのままぼくらのところへ持って来るのかと思ったら、まずは店内 へ。 観察していると、なにやらビール瓶を紙のようなもので巻いている。どうやらビールである事を隠す為らしい…。そしてやっと僕らのテーブルへビールを持って来た。 わざわざグラスに注いでくれたがどこからみてもビールであることはバレバレで、じゃあ最初っから隠すなー!と突っ込みを入れたかったがやめた。 せっかく願いが叶ったのに、ジェフ達はテラスでビールを飲んでるのがかえって居心地悪そうで、さっさと残りを飲み干しビール瓶もテーブルの下に隠し、さっさと出発することに。お代は一杯25ディラムなり(約300円)。だいたい料理一皿ぶんの値段だけど、おにーちゃんがビール見つけるために走りまわってくれたので、そのぐらい払ってもしょうがないか…。 ラバトではボッたくられたり、ここアシラではビールのせいで犯罪者みたいな気分になるし、今のところモロッコではアルコールに対していい思い出はない。でも海は綺麗で静かだし、レストランで海産物は新鮮なものを食べられるしおいしいし、おまけに全体的に安いし言うことなしっすアシラは…、座布団10枚! こうしてモロッコでのみじかいバカンスを終え、次はテトゥアンへ出発だー!

| モロッコ、モーリタニアツアー | 03:39 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

モロッコ・サーカスの旅 パート6

アシラのメディナでは、鮮やかな色を使ったいろいろな絵が至る所でみられる。誰が書いたのか知らないがちょっとした美術館のようだ。これもそのひとつ。                                                                           1113330517.jpg 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ブジェ・パ・ブジェのツアーにアルコールはつきものだ。まず移動の飛行機の中から、仕込みをしながら、公演が終わった後…。ただ僕は公演をすればする程身体が敏感になっていて、ある頃からあまりお酒を飲まなくなった。飲んでもみんなと食前に一杯ぐらい…。 ちなみにぼくはアルコールなしでも生きていけるが、一緒にいるフランス人の男達はダメかもしれない。 特にマネージャーのジェフは、燦々と輝く太陽を見るとコート・ダ・ジュール育ちの身体がうずくのか「オォ−!グランドソレイユ、アヴェック・ユヌ・プチットゥ・ビエール…、(ああ、太陽だ!ちょびっとビールを一杯…)」と叫び出す。 当然そんな時、彼のアタマの中にはビールを片手に太陽の下のテラスでくつろいでいる映像がひろがっている。 さて、今僕らはモロッコのラバト公演とサレ・サーカス学校訪問を終え、一泊二日のちいさなバカンスをとるため大西洋の海沿いの町”アシラ”にきている。 散歩に疲れハラが減って来た頃、さっそくジェフはビールを求め出した。たしかに”昼からビール”には最高の天気とシチュエーションだ。 ただしモロッコは、アルコールに対してはそれなりの規制がある。というよりも100%に近いイスラム教の国なので、宗教的にはモロッコ人は口にしてはいけない事になっている(でもウラで飲んでるひとはけっこういるらしい。そもそもモロッコで造られているワインやビールがある)。 「どうせ、表向きだけ自粛してるだけなんだから、すぐにアルコール見つかるだろう」とたかをくくっていたらラバトと違ってここアシラでは、お酒を手に入れるのにとても苦労した。 じつは外国人旅行者向けのレストランに行けばたいていお酒は置いてあるのだが、そういう所に行きたがらないのがアーティスト。僕達はなるべくそういう所を避け、モロッコ人達が集まる所に行くことにした。 さて、望み通りに庶民的な定食屋のテラスに座り、ビールを注文しようとするが、メニューのどこを見ても載っていない。 歩きまわって一軒だけ「メニューには載ってないけど用意する事はできますよ」と若いウェイターのおにいちゃんが笑顔でささやいてくる店を見つけた。 それってどう意味だ?ないけど出せるってこと? 「君はアラジンかい?」とおもわず聞きそうになった…。 パート7へ

| モロッコ、モーリタニアツアー | 03:28 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

モロッコ サーカスの旅パート5

モロッコのサーカス学校の生徒達にのせられ踊っている図。                                                                                    1113266067.jpg                                          はしゃぎ過ぎて怪我をした。                                                                      〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 モロッコラバト公演を終えて、隣町サレのサーカス学校(正式名はシェミだかシェムジだか…)に練習の手伝いをしにやって来た。まず校舎の子供達の普通授業を見学。そしてそのあとは上級生達のサーカス練習の手伝いをしにいく。 <自分達のサーカスを目指す子供達> 学校のお隣のサーカステントでは中学生から高校生ぐらいの年齢の子がサーカス芸を学んでいる。 テントに入るとアクロバットとジャグリングの教室をやっているところだった。モロッコには大道芸でアクロバットをする伝統文化があるせいか、アクロバットのレベルは悪くない。ていうか教える事無いじゃん。ジャグリングも悪くないし…。 なのでテクニックをどう応用するか、それぞれのケースに応じて一緒に考える事にした。 この学校おもしろいのは、生徒と一緒にサーカスの教師も教育しているところ。教師はみんなもと体操選手だったり運動についての経験がある人達で、それなりにサーカスについては実験的に教えている。 フランスで僕が出会ったサーカスの先生も、クリエイティブな面でいいセンスをもっているのは決してサーカス出身の先生ではなかった事を思い出す。 教師達も集まって僕らがやる事を観察して色々質問して来る。たまに生徒のほうが先に理解して、先生に教えたりしているのがおかしい。みんな仲良しだ。ただし生徒が先生にたいして偉そうにする事はない。礼儀という事もあるかもしれないが、サーカス学校の生徒にはテクニックを教わる以外に、第三者として先生の目が必要だからだ。そういう意味で彼等の関係は明確だ。練習する人とそれを見て意見する人。とってもクリアーだ。 サーカスの授業が終わって、ノリのいい生徒達がぼくに「ケイスケ踊れるでしょ!」とマイケルジャクソンのCDをかけてくれた。くそ、見抜かれたか…、ならばしかたがない、インシャアッラー! そんなわけでみんなとブレイクダンスバトルに突入。ま、バトルといっても要はみんなで輪になって踊って、ひとりが真ん中でまわったりして場を盛り上げるというやつだ。 もともとアメリカのヒップホップ文化だが、あっというまに言葉を超えた身体とリズムの交流ができるのは世界共通だ。日本でもフランスでもアフリカでもやってしまった事がある。さすが女の子の腰のくねりはアラブ圏ならでは?ベリーダンスを思い起こさせる。電気ショックのような腰使いのカメルーンを少し思い出したが、それとはまた違うリズム感。 ヘトヘトになるまで踊らされてしまった。約10人対1のダンスバトルじゃそりゃつかれるわ。マットの上だったので靴脱いで靴下で踊ったら、それが間違いで軽い怪我をしてしまった。このときに突き指した足の小指がいまだに痛い。でも思いっきり楽しませてもらったのでまいっか。 サレのサーカス学校、きっとうまくいくだろう…インシャアッラー!(すべてはアラーの思し召し!) ※次はツアー中の小休止、「アシラ」でバカンス!

| モロッコ、モーリタニアツアー | 09:34 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

モロッコサーカスの旅パート4

   サレサーカス学校の渋いイスラム門               ここを抜けると昔、ジブラルタル海峡を荒らし回った海賊達の末孫がサーカスの練習をしている。                                                                         1113247913.jpg                                                                                                                             モロッコの首都ラバトから、メディナ(旧市街)を抜けると目の前には大西洋がひろがる。その右横の川むこうには、サレ地区がみえる。これから僕らがお手伝いをするサーカス学校がある町だ。                          もともとこの町は11世紀に開かれ、そのあとは海賊船の基地だった。海賊の末孫達がつくったサーカス学校か…、身ぐるみはがれてもいいから命だけは助けてもらおう…。                                                                         <イスラム圏のサーカス学校>                        運転手ムスタファの運転で、白い家や土壁の昔ながらの家並みが広がるサレの町に入っていく。                                学校が終わったばかりらしく、子供達が道のそこら中にあふれている。ムスタファはその子供達にむかって「ヤンラ!ヤンラ!(行け行け!)」といって追い払うが、彼も同じ年頃の子供がいるせいもあってか表情には優しさがにじみでている…(やっぱりちょっとキングギドラに似ているが。)                   細い路地をとおり抜け、ぽっかり目の前に空と海が広がったかと思ったらその横の方に、ぼろぼろのレンガと土でできた四角い城壁なようなものがある。サレサーカス学校だ。                                                                         このサーカス学校はできて間もないが、あっというまに急成長した学校だ。サーカスとしての活動もしていれば、ストリートチルドレン救済もしていて、社会的な貢献度もある。その意義のすごさは知る人ぞ知るスペインのベンポスタサーカスに似ているかもしれない(ただしサレはまだまだ小さいですが…)。イスラム圏のヌーボーベンポスタ!なんちって…。                                                                 いかにもアラブっぽい門をくぐり、城壁に入ると、中にはなかなか大きなサーカステントと学校兼宿舎、そして小さな畑とミニサッカー場がある。まずは校長先生に校舎を案内してもらう。                             国語、数学、理科、社会などの基本科目の他にフランス語、英語などをやっている教室があり、授業参観させてもらった。結構この国もしつけが厳しいらしく、みんな落ち着いて授業に集中していた。この時の授業はだいたい小学生で、普通の家庭から来ている子もいれば、ストリートチルドレンや孤児たちもいる。                                                家が遠い子やストリートチルドレンは学校の宿舎に泊まれ、昼休みに家に帰って食べられない子は学校で給食が食べられる。普通教育の学校とサーカス学校が一緒になって、貧しい子達を救いあげるシステムもくっついて、いろんな階層の子供達がサーカスをとおして相互理解を学ぶ場になっているらしい。                                                     <サーカスによる弱者救済>                          モロッコの裏社会ではストリートチルドレンやアルコール、ドラッグ漬けの若者がいたり、田舎では人身売買や強制売春もあるという…。残念ながらそういう人達を救うシステムが、この国ではまだまだ確立されていないのが現実だ。そんなモロッコで、社会的弱者の為のサーカス学校は新しい試みだ。                                                      日本では昔サーカスはひとさらいと思われていたようだが、この学校のサーカスは人さらいや裏の社会から子供を救うサーカスと言えるかもしれない。        サレの学校は小さいし、受け入れられる生徒も限られているだろうが、がんばって続けて欲しい。これを読んでラバトに行った際は、ぜひここを訪れて、可能なら寄付をしてきて下さい。                                                                    校舎見学は終了。次はもっと年長者がいるとなりのサーカステント見学へ!

| モロッコ、モーリタニアツアー | 04:31 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

モロッコ サーカスの旅 パート3

テトゥアンのメディナ(旧市街)のなかにある野菜市場         このなかにひとりで入り込んだら簡単に迷ってしまう…。                                                                                                                                                                  1113214874.jpg                                                      <ラバト公演>                               モロッコ/ラバト公演は満員御礼。                      なんと以前フランスのストラスブールで僕らの作品をみたフランス人のお客さんやカサブランカから電車で来たお客さんまでいた。                 この国の経済はイスラム圏のなかでも急成長しているらしいが、文化的にはまだまだ発展途上のようで、なかなか劇場で現代的なものを観たくても、あまりないらしい。そういうわけで素晴らしく盛況だった。                                                          <ぼったくりディスコ>                           公演も無事終わり、少しモロッコに慣れた僕らは、ラバト公演打ち上げとして、ホテルマネージャーに勧められた「ナイトクラブ」という名のディスコに出発した。                                        入場料はタダで、ポルトガルで活躍するコンテンポラリーダンスの振付家でもあるマリアナと僕は、さっそくダンスフロアーへ。他メンバー3人はカウンターでビールを飲みはじめる…。                              夜中1時を過ぎてお店も混んで来たころ、ジェフが僕に耳打ちしにやってきた。「この店ぼったくりだ、ビール8杯で800ディラハム(約1万円)もとられた。おれたちはもう帰る!」と。 実はここを僕らに勧めたホテルのマネージャーが、このディスコも仕切っていて、そのマネージャーに笑顔で請求されたらしい。                                              800ディラハムといえばこの国では大金だ。階層によっては一か月分の給料に値する。当然モロッコ人にはこんな法外な値段は請求しないだろうが…。そもそもアルコールはイスラム教では禁止されていて、アメリカのイラク介入以来、モロッコではイスラム主義が多少強くなり、アルコール規制が厳しくなったと聞く。                                             僕とマリアナは結局夜中の2時過ぎまで飲まずに踊りつづけたが、最後はなにも請求されなかった。                              <インシャーアッラー>                           ホテルのチェックアウト。ほんの数時間前にジェフ達からお金を巻き上げたホテルのマネージャーが、眠そうな目をこすりながら満面な笑みで僕らに「ショクラン!(どうもありがとう)」と感謝してきたのは言うまでもない。                                                  そして「インシャアッラー!(すべてはアラーの思し召し!)」と返す僕ら…。起きた事はしょうがない。そんな日もあるさ…と。なんだかすこしずつモロッコに慣れてきたようだ。                                                                      大都会だと思っていたラバトもよくみると古い文化がしっかり残されていて、この町に刻まれた歴史の長さを感じずにはいられない。人ものんびりしているし、最後には結構気に入ってしまった。                                                                モロッコの旅はまだつづく。これからラバトの対岸にあるサレ地区のサーカス学校へ…。

| モロッコ、モーリタニアツアー | 19:21 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

モロッコ サーカスの旅 パート2

金曜日の昼はクスクスを食べるのが習慣だ。メディナではそれ以外の日はクスクスはメニューに載ってない。クスクスベジタリアンを前に、今回照明で一緒に来たベジタリアンのフレッドも満足そう。                                                                                                       1113213288.jpg                                                                                      〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜                                       <モロッコ観光の初心者達>                         朝、目覚めてからシャワーを浴び、ホテルのテラスで朝食をとる。目の前には迎賓館があり、ほど遠くない所にモロッコの王宮がある。太陽がゆっくりとテラスを埋めてゆく。2月のモロッコはジャケットが必要なぐらい気温は低いが、一度太陽が照るとTシャツひとつで十分なほどあたたかい。                                                          すこしづつツアーのメンバーが起き出して来て、朝食のテーブルを埋めてゆく。  前回のアフリカツアーで一緒だった照明の”フレッド”にマネージャーの”ジェフ”、ポルトガルから来たジェフの彼女”マリアナ”、そして”僕”と相棒の”セバスチャン”。この5人が今回のメンバーだ。                                                               昨日の夜は、物価の安いはずのモロッコのレストランで、パリ並みのお金を払わされ、さんざんな目にあった。                         そんなわけで朝から<反省会+これからの対策+公演の仕込みスケジュール>を立てる事に。                                  海外公演にガイドブックを持って行ってもロクに読まないぼくらだが、この時ばかりはとフランス、ポルトガル、そして日本の僕のガイドブックで総合的に観光対策を練る事になった。おお、いんたーナショナル!                                                        しかし僕のガイドブックはパリの日本の図書館で借りた23年前発行のモロッコガイドで、みんなにさっそく信用されず、けっきょくバカンスを利用して僕らについて来た、一番ヒマなポルトガル人のマリアナが指揮を執ることに。                                                「メディナ(旧市街)にいって、海沿いのカスバ(城)にいって、名物のミントティー飲んでフルーツジュース飲んで屋台のクスクスで決めるわよ!」とガイドブックを片手にマリアナ。                           「ウいーっす(OUI)、インシャアッラー!(アラブ語で、すべてはアラーの思し召し!)」と僕ら男達。                                                                  <イスラム教のお墓>                            ラバトの旧市街を通り抜け、海岸に出るとおびただしい数のお墓が建っている。どうやら間違えて墓地に迷い混んでしまったようだ。しかし目の前に広がる広大な墓地と、その向こうに果てしなく広がる海との組み合わせは不思議と神秘的だ。                                          墓石はよく見るとすべて同じ方向を向いている。近くにいた子供達に尋ねたら「すべてメッカの方向に向いているんだよ」と教えてくれた。                                                   <モロッコのフリーター 少年ガイド)                    思いっきり遠回りしてカスバ(城)に到着。入り口でさっそく少年ガイドをみつけ、カスバの中を案内してもらう。というよりも友達のように話をしていたら勝手にガイドされていた、といったほうが正しいかな…。気が付いたら少年ガイドの家のテラスに上がり込んでいた。                             彼は自分の母親の仕事や普段何を食べているか、自分の家の台所まで見せて、ぼくらに解説し始めた。縫い物仕事をしている彼の母親に挨拶すると、そのあと目の前に広がる海について語る少年…。すこしづつ友達感覚になってきたが、最後まで彼の少年らしさを見る事はできなかった。                      観光名所ムーアカフェで、ミントティーを飲んで最後はしっかりウダイヤ門まで送ってくれて、約1時間のガイド料をみんなで払った。合計50ディラハム(約600円)。安いのか高いのかそれとも相場なのかよく分からないが、彼は素直に受け取ってたので問題ないようだ…。当然のように彼の家に案内されたときは、さすがに複雑な気持ちになった。そんなとこまでいつも見せているのかと…。                                               モロッコ人に後で言われた事だが、子供ガイドにそんなに渡してはいけないらしい。彼等にとって50ディラムはそれなりに大金で、ましてや子供がガイドでそんなに稼ぐと将来まともな仕事につけなくなるらしい。そしてまじめに働く親よりもお金持ちになって大人を尊敬することを忘れるという。                      彼等のガイド仕事は、単に生まれ育った自分の家のまわりを散歩しながら案内しているようなものだ。もし観光客に自分の家や家族を見せ物にされるかと思うと…、想像しただけでも絶句する。モロッコの将来の若者達の為にこれから気を付けます。                                   昼ご飯はメディナ(旧市街)の屋台で16ディラハム(200円弱)のタジーヌを食べ、生ジュース屋で2ディラム(安い!)のフルーツミックスジュースを飲む。お好みで目の前にあるバナナやイチゴ、キウイ、オレンジ、アーモンド等を指差してミックスしてもらえるのがうれしい。                       栄養満点、モロッコにいる間マリアナは昼飯を食べないでこればっかり飲んでいた。ウチの近所にもぜひ出張してもらいたいお店だ。                                                      栄養も補充したし、明日はラバト公演本番だ!

| モロッコ、モーリタニアツアー | 18:54 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

モロッコ サーカスの旅 パート1

モロッコでみたお墓は写真のようにみんなメッカの方角を向いていた。                                                  thumb_1113178662.jpg                                                                                    現在「ブジェパブジェ」のツアーでブルターニュ公演中だが、合間をぬって今年2005年の2月にモロッコにいた時の事をやっと書いている。このようにツアー中の方が時間に余裕があったりする。                                                              ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^  モロッコ<ラバト>                             ヨーロッパを南下しジブラルタル海峡を超えると、アフリカへの玄関といわれる「モロッコ王国」がある。王国といわれるからには王様がいて、カサブランカの空港にはさっそく大きな額縁の中に収まった「ハッサン6世王」が僕らを出迎えてくれた。                                       入国審査を終えカサブランカの空港ロビーに出ると、あふれんばかりのモロッコ人達がなにやらこちらにむかってアラブ語で叫んでいる。              発展途上国によくいる自称ガイド達が、手ぐすねひいて僕らのことを待ち構えていたかー!っと思って身構えていたら、僕らの事は全く無視し、みんな入国ゲートをでてきたおじいちゃんおばあちゃん達を出迎えている。どうやら彼等の家族らしい。みんなよく見ると、長衣にフードがついたジェラバ、女の人はカフタンとよばれる服を身にまとって正装している。                                                               後で分かった事だが、ちょうどイスラム教徒がメッカの巡礼を終えて帰ってくる時期と、僕らの到着が重なったらしい。メッカ巡礼は、イスラム教徒ならだれでも一生に一度は参加したい大行事。毎年ドミノ倒しで死者が出るほど、沢山の人が出かける。参加する方も命がけのビッグイベント。ぼくらの初詣のお参りとくらべても、スリルでは向こうのほうに軍パイがあがる。                                                           僕らの目の前では出迎えの家族と帰って来たその肉親とが、体当たりして抱き合って再開を喜んでいる。ほっぺたやアタマへのチュ−はフランス以上に激しい。お年寄り達が五体満足に帰ってきてくれたんだから、そりゃ嬉しいか。          彼等の家族愛におもわず感心していたら、一人の男が「ブジェパ?」とカタコトのフランス語で話しかけて来た。こいつこそ自称ガイドを名乗る怪しい輩かと思ったら、「ブジェパブジェ…、」ってそういやそれって僕らの作品名…。じつはこれから僕らをモロッコで案内してくれる現地の運転手だった。ここから彼とは最後まで一緒に旅をする事になる…。                                                                   <運転手ムスタファ>                            さて、フランス語が堪能なモロッコ人「ムスタファ」の運転するバンにのってカサブランカ空港から最初の公演地「ラバト」へむかう道中でのこと。                                               ムスっと運転している彼に「きみはイスラム教徒? 素手でご飯を食べるってホント?トイレは紙ないんでしょ? フランス語どこでおぼえたの?」と次から次へと100%モロッコ初心者マーク丸出しで質問を投げかけた。                                                  車内ではビートルズのカセットが「ゲットバック」を歌っている。さすがにモロッコ来てまでビートルズは聞きたくないので、オリエンタルなアラブ音楽に変えてもらったら、彼も鼻歌まじりでリラックスして話はじめた。彼は西洋人には、いつもビートルズを用意しているようだ。                                                               タンジェという町に彼は結婚して住んでいて、子供もいて、熱心なイスラム教徒で金曜日の昼は家族でクスクス(現地の定番料理)を食べてアルコールは絶対口にしない事などが分かった。ふむふむと真剣な顔で彼の話を聞きつつ、緊張の緩んだ彼の顔がキングギドラに似ている、と思ったがそっと心の中に閉まっておいた。まわりのフランス人に言ってもわからないなんて、あーくやしい…、アンギャー…、おっとそれはゴジラか。                                                                       途中サービスエリアの駐車場で、他の車の運転手がアスファルトに絨毯敷いてメッカに向かってお祈りしていた。どうやらお祈りの時間らしい。それをみているこちらも敬虔な気持ちになるから不思議だ。                      でも僕らの運転手ムスタファはそれをみても祈りもせず、特に反応していない…、あれっ、こいつ熱心なイスラム教徒のはずなのに…、とおもって後で聞いてみたら、「仕事をしている時はお祈りできないから、できなかった分をまとめて朝と夜にやるんだよ」と言っていた。後で知った事だが、現代的感覚のイスラム教徒はお祈りできなかった分をまとめて後でお祈りするらしい。便利な世の中になったなぁ…。そしてモロッコの首都ラバトに到着。                                                              <モロッコの首都 ラバト着>                          ラバトの中心街には、現代的な建築が立ち並び、大通りはまるでシャンゼリゼのよう、しかも僕らのホテルは国の迎賓館の前…。                  ラクダも、じゅうたん売りも、大麻を売りつけてくる怪しいおっさんもいないでないかーい!。アラビアのロレンスはどこ行ったー!と叫んでもアラジンの魔法のランプがそれらを出してくれるわけでもなく、スーツや現代的なファッションに身を包んだ男女が楽しそうに通り過ぎてゆくだけだ。                  大体モロッコの丸の内みたいなところでそんなもの求めてもしょうがない。日本の国会議事堂の前でチョンマゲのサムライがいなくてがっかりしているようなものだ。                                       モロッコのイメージを一瞬にして砕かれた傷を癒そうと、ホテルの隣の生演奏付きモロッコ料理のレストランへ行く。                       たのんだタジーヌ(モロッコの煮込み料理)の味はなかなか。でも値段がひとり約200ディラハム!(20ユーロ、約2700円!)た、たっかー、これってほぼパリの値段かそれ以上じゃん!                                                                そんなこんなで、第一歩目からぼくらが抱いていたモロッコのイメージは、現代モロッコ人達に大きく砕かれ修正されていった。                 やっと「アフリカへの玄関」と言われるモロッコで、アフリカ大陸の洗礼を受けたと言えるのかもしれない。                           パート2へつづく

| モロッコ、モーリタニアツアー | 09:17 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

アフリカ サーカスなべ!

2005年はおおきなアフリカ大陸ツアーが3つもある。            ひとつめは2週間のモロッコ、モーリタニア。                 ふたつめは2か月にわたる東、南アフリカツアー。               みっつめは2週間の中央アフリカツアー。                   そしておまけのよっつめは中央アフリカのアーティスト達と2006年に向け、ヌーボーシルクをやろう!という計画である。                                                         きっかけは去年のカメルーン、ガボン公演の時の地元フェスティバルやスポンサーの反応が良かった事や、出会ったアーティスト達が面白かったこと、そしてアフリカ文化への興味だ。                                                                     公演計画の書類はある程度できあがったが、今回は他のアーティストも加わるので至急やらなければいけないのはそのメンバー選びと予算組…。           アーティストは当然作品づくりのお金が無いのでフランス、アフリカのいくつかの機関が助成してくれることになった…。しかしまだまだ足りない。         誰か日本の文化助成機関でこのプロジェにお金を出してくれそうな所があったら教えて下さ〜い。                                この計画のおもしろいところは日本人、フランス人、カメルーンとアフリカの他の国のアーティストが出演者。かといっておっきなサーカスとは違って、出演者も4、5人になりそうだ。 そしてその出演者はサーカスアーティストとダンサーとミュージシャンで構成。 それに演劇ばたけの若手の演出家と、その助手にドラマツルギーとコンテンポラリーダンスを勉強しているアーティストがつく。 この異なった素材達が、アフリカの特製スープで調理されたらどんな鍋ができあがるかな…。今の所アフリカとフランスで公演予定です。                                                               しかしこのブログ、タイトルは「フランス・サーカスの旅」なのに、このままいくと「アフリカ・サーカスの旅」になりそうだな〜。

| アフリカツアー | 08:29 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

空に消えた空中ブランコ乗り

イブが空中芸をやっている最中に転落した。                                                        今日の朝、ホテルの主人が「新聞に空中ブランコ乗りが死亡した記事がでている」と教えてくれた。                               新聞には事故のあったサーカスのカンパニー名は載っていたが、死亡したアーティストの名前は出ていなかった。わかっていたのはそのカンパニーはイブ達CNAC時代の仲間が働いていたカンパニーだという事…。                  僕は公演先にいて、特に仲間とはその話はせず、昼の本番に集中する事にした。                                        イブの悲報を知ったのは公演後すぐの事だった。取り乱したマネージャー、ジェフからの電話。「イブが死んだ…」                                                              ジェフが僕らのマネージャーになったのはそもそもイブがきっかけだった。    彼らはニース時代からの幼なじみで、ジェフはイブ達の新しいカンパニーのマネージメントをやるつもりでパリに出て来た。結局そのころ彼等のカンパニーはまだ準備段階で仕事にならず、僕らのマネージメントを結局やることになったのだ。                                           その後もジェフとイブとは仲良しで、飲みにいったりパーティーがあれば一緒に騒いでいた。                                  そして突然の悲報…。                            ジェフからの電話のあと、僕と相棒と照明家の3人で近くの湖に出かけた。    歩きながら亡くなったイブ、そして彼等…、この一年で亡くなった3人のサーカスアーティスト達の事を考えた。そのうちの2人は去年空中芸の授業中に亡くなったエレーヌと僕と同級生だったエリックだ。イブも含めてみんな同じ学校出身だ。一学年15人程の学校の中で友達にならないはずがない、みんな一緒にばか騒ぎした仲間だ。                                    アルプスの大自然の中を歩いていると、人間の死なんてちっぽけなものに感じられる。そのうちどうせ僕達も、この宇宙の大きな営みの中に同化してゆくのだろう…。                                      サーカス学校で、イブはお祭り好きでいつもどこか存在がシャレていた。カラフルな色の服が好きで、それがまた彼によく似合っていた。人の手や肩に手を置いて話をするのが彼のクセで、ぼくにもよくやった。田舎の学校だったので週末にはどこに出かけるでもなく仲間うちでよくダンスパーティーをしたが、彼と一緒に朝までクタクタに踊った事をおぼえている。この世にいないことがわかっていても、そのうちまたどこかのフェスティバルのパーティーで踊っているイブに出会いそうな気がする。そしてエリックもみんなそこにいるんだろうな。                                                        ニースで生まれ育ったイブは、カンヌからそう遠くないところにあるコンポリエ・サーカス学校でサーカス芸の基本を学び、パリのロニー・スー・ボワ・サーカス学校に入学。ロニー校では仲間達と空中ブランコチームを結成し、トラペーズ・ヴォロン(飛び手、つかみ手に分かれ複数でやる空中ブランコ)の練習を開始。CNACに入ってからもそのチームを続け、卒業後に空中ブランコ乗りだけのカンパニーを開始。最近はそのうちの彼を含む何人かのメンバーで、別な空中ブランコのカンパニーの作品に出演。                                                                        2005年4月3日 公演中に、空中に舞い上がったまま空の彼方に消えてしまった…。                                                                             そのうちまた遊ぼうな、イブ。

| サーカスの世界 | 22:22 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

SWISS kara bonjour

nihonngo kono PC jya kakemasen. swiss kouenndesu. mizuzumi no hotori NYON niimasu. izen NYONS tokakimasitaga kokoha NYON desita. ahhhhh alpes. HAIJI dana.

| 分類なし | 22:40 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

| PAGE-SELECT |