カナイケイスケ

サーカス・アーティスト「金井ケイスケ」、またはパフォーマー「ケイスケ」のページ

2004年02月 | ARCHIVE-SELECT | 2004年04月

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フランス/トゥールーズツアー・

公演地のガソリンスタンドで見つけた自分達の公演ポスターの前で 僕とセブの二人だけの小さなサーカスカンパニー「オキハイクダン」。今回は約10日間の南仏ツアー。 2/19~2/22 サン・ローラン・ドゥ・ネスト 2/23      トゥールーズ 2/24~2/25 ロデズ 2/26~2/27 ラモンヴィル 2/28~2/29 ヌガロ 19日朝、パリ・バニョレ門で相棒のセバスチャンと待ち合わせ。ここで待ち合わせるのももう何度目だろう…。さっそく食料を買い込んで、トゥルーズ地方へセブ(セバスチャン)のキャミオン(バン)で出発する。 多くのサーカスアーティストがパリではなく地方に住んでいるように、彼もまた地方に住んでいる。パリや都市部は、サーカスの為の場所がほとんどない。空中芸や道具を使うアクロバットのアーティスト達は田舎の農家や朽ち果てた農業倉庫を改造して練習場にしていたりする。セブも最近ピカルディー地方/アミアンに土地を買った。もともとアミアンは彼の地元で、自分のおやじに手伝ってもらいながら、家を建てていくらしい。当然設計図には彼の空中ブランコの練習場がある。完成は1、2年後…。 アミアンからパリまで車で約2時間、そしてこれから行くサン・ローラン・ドゥ・ネストはさらに遠く約8時間ぐらい、距離にして787キロ…。  いつも思うのだが、パリから高速道路で南下する時の景色は飽きる。フランスの中央/サントル地方あたりは特に何もない…。 運転手はセバスチャン一人、僕は免許なし…。というわけで僕の車の中での仕事は飲み物や食い物を渡したり、CDをかけてこまめに話題を提供し、ナビゲーターを努めることだ。僕は最近買ったばかりの楽器「メロディカ(日本ではピアニカ)」を暇つぶしに持参。到着するまでに曲を4、5曲覚えただろうか…。ミディ・ピレネー地方に入った頃には、すっかりあたりは暗くなっていた。 南フランスの一番の楽しみは太陽だ。オレンジ色した建物やオリーブをふんだんに使った料理などはまさしく南仏のイメージそのもので、できれば南に移住したいと思っているフランス人はたくさんいる。 僕らも今回のツアーは半分バカンス気分で、わざと二人とも薄手のズボンとシャツで来た。もうすっかり暗いが気にすることはない。北に位置するパリやアミアンからきた僕らにしたら、やはり南仏は、夜でも楽園に変わりはない。 夜8時、サン・ローラン・ドゥ・ネスト到着。猛吹雪…、本当に、猛烈に吹雪いている…。幸運にもこないだスウェーデンに行ったばかりのセブの車はスタッドレスタイヤをはいたままだった。寒さで二人ともガチガチに震え、雪に視界を遮られながらも無事、隣町にあるホテル「オテル・デュ・ピレネー」へ。 ホテルのレストランで食事…。客は僕らだけ。到着が夜遅くなるはずだった僕らには、ちゃんと「モンション・ドゥ・キャナール(鴨料理のひとつ)」が乗ったサラダが用意されていた。ガチガチに震えている僕らにはちょっと冷たすぎる料理だ。たまりかねて暖かいスープを注文しようとするが、「今日はもう厨房の火を落としたから何も出せない」と断られ、さらに「遅く着くなら電話ぐらいしなさい!」と給し役も兼ねているホテルのマダムに叱られた。 なんだか感じの悪いマダムだ。しょうがないので寝室へ…。幸運にも浴槽があったので、風呂に浸かりながら、冷えた体を温める。南仏の輝く太陽はどこにいってしまったんだろう…、と考えていたら、お風呂場のデコレーションが気になって来た。タイル一枚一枚にはバラ模様がついていて、洗面所には手縫いの人形が飾ってある。お世辞にもうまいとは言えず、むしろ気持ち悪い…。どうやらさっきのマダムの趣味らしい。 風呂からあがってみたら寝室もバラ模様、シーツもバラ模様で、おまけに人形が三体ほど飾ってある。なんだか子供の頃に行った「蝋人形の館」を思い出す…。ここに三泊もするのかと思うと気がめいるなー、と思っていたら相棒のセブが、僕の寝室へやってきた。 彼は僕の部屋をみて笑っていたが、彼の部屋もさらにすごかった。床には多分本物の、狐だか猫だかなんだかの毛皮が敷き詰められていて、枕元の壁には巨大な金色の扇子がかかっている。どうやら部屋ごとにテーマがあるらしい。彼の部屋のテーマをあえていうなら「狩猟好きの中国皇帝の部屋」だろうか…。 朝、ホテルのレストランで朝食。昨日は気が付かなかったがここもバラだらけで人形が至る所に飾ってある。 バイキング形式のテーブルの目の前には、ここの主人であるマダムの写真が額縁に入って飾られている。彼女の写真は廊下やロビーにも飾ってあったが、ここのが一番すごい…。ドレス姿の彼女が片方の肩ヒモをわざとはずしてこちらに微笑んでいる。朝から気持ち悪いものを見てしまい、セブとふたりして食欲を無くした。 こうしてトゥルーズツアーの第一日目は、吹雪と色仕掛けのマダムの微笑みによって幕をあけた…。パート2へつづく…

| トゥールーズツアー | 23:41 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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僕らのポスター

これが今やっている作品のポスター候補です。まだ完成ではありませんが、作品の雰囲気はよく出てると思っています。 いままではいく先々の劇場がつくってくれてましたが、結構ダサイのがおおくて、自分達のポスターが欲しい!とずっと思っていました。 そしたら、ブルターニュ地方に住む僕らの友人「レティ」ちゃんがななんと、半分遊びでつくってくれたのがこのポスターです。 他にも絵はがき、名刺などいろいろ考えてるようです。 とりあえずお披露目です。 なにかご意見、ご感想ありましたらお願いします。 ちなみにこの作品の次回公演地は、フランスのロワール地方、トゥールで公演です。大学が持っている劇場なのか、街の名なのかわかりませんが、L’Universite de toursというところで4/6に公演します。フランスにいる方、良かったら観に来て下さい。 ここんとこバカンスだらけ(笑)の僕らですが、5月にパリ郊外で、6月にモンペリエ、パリ郊外、イタリアのミラノの横Brecia(フランス読み?)で公演をやります。 そして、夏には北海道で大きなイベントなどなどあります。 そのつど公演のお知らせをしたいと思います。 では、おやすみなさい(今、真夜中です)

| 分類なし | 02:28 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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アフリカツアー・

ガボン、カメルーン公演より 2004年1月14日~21日/ガボン     パート・ まとめ       1月21日~26日/カメルーン   「ガボンはアフリカ大陸の赤道上にある国で油田があり、その上に位置するのがサッカーでセネガルとともに有名なカメルーン。ガボン、コンゴの国境沿いでは難民キャンプがありエボラ出血熱などの伝染病がある。どちらも公用語はフランス語。」 1/26、カメルーン最後の夜はサッカーのアフリカカップ開幕を地元カメルーン人達と大スクリーンで観戦。対チェニジア戦でこの時ばかりは金持ちも貧乏人も白人も黒人も一致団結してカメルーンを応援する。結果は引き分け、全員怒っていた。  27日、リーブルビル経由でフランスへ。ドアラ/リーブルビル間では飛行機の大幅な遅れや乗り継ぎの際の手際の悪さにつづき、途中ギニアではクーラーが突然止まり、機内では熱がこもり、みんな汗を垂れ流しながら立ち上がってスチュワーデス達に「オンネ・パ・デザ二モー!(おれたちは家畜じゃないぞー)」「オ・スクー!(助けてー!)「イシ・セ・プリゾン!(ここは牢屋だー!)」と叫び、抗議を始めた。そのうち暴動が起こるのではないか、と思ったところでまたクーラーが効きはじめた。なんて事はない、飛行機が止まっている間の燃料節約のため単にクーラーのスイッチを切っていたらしい。あまりのせこさに悲しくなった。 時間どおりには飛ばないし、クーラーは効かないしでカメルーンエアーの文句を言っていたら、隣の人いわく、ほとんどのアフリカの航空会社は時間にルーズでいい加減で知られていて、みんなから別名「エアー・プ・テートル(たぶん飛ぶ航空会社)」と呼ばれているらしい。 予定より8時間遅れでリーブルビルに到着。パリ行きに乗り換え、再度出発。 常夏のアフリカから6時間で真冬のパリに到着。飛行機から見たフランスは今年の初雪で真っ白だった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ガボンとカメルーン…、どちらもとても資源が豊富なのにものすごく貧しい国(特にカメルーン)という印象。 文化の資質や歴史(植民地以前)はヨーロッパを超えるほど豊かなのにそれを育てる環境が無い。きっと国の文化予算なんてほとんどないに等しいのだろう。 さらに貧富の差が激しい。 富を分配するシステムが存在していない。大統領?は20人も奥さんがいてその一族や政治家たちは城のような大豪邸に住んでいるのに、街にはストリートチルドレンが溢れ、そして夜は娼婦もどきの女の人たちが白人と金持ち目当てに至る所に現れる…。  そして宗教や民族の違い、それぞれの儀式など、都会で生活しているひとたちですらそういうものを未だに持っている人がたくさんいる。 例を挙げると時々、心臓なしの少年、少女の遺体がみつかることがある。それは儀式で選ばれた生け贄(詳しいことは忘れたけど若者とか子供が選ばれる)の心臓を神にささげるというもので、その父親みずからが自分の子供を殺害して心臓を抜いてそれを生け贄として祭壇に捧げてしまう。とうぜん社会的には犯罪行為なので親は捕まるけど、かならずすぐに釈放される。とにかくそういう事件がたまにニュースや新聞に出ていた。 公演はなかなかの盛況。白人だけのカンパニーは人があまりはいらず、そんなに盛り上がらないらしいけど、日本人の僕が出演していることで地元アフリカ人たちが興味を持ってたくさん観にきていたようだ。 白人とアジア人の組み合わせは珍しいようで、ブラックを入れてトリオにしたらもっとおもしろい、いや、アラブ人もいれてカルテットノなんて思いを巡らせてしまった。肌の色や文化、宗教の違いを超えて、そんなことができたらもっと楽しいかもしれない。    カメルーン、ドアラの劇場ディレクトリス(ディレクター)、ナディアは僕らの作品を気に入ってくれて、僕らのために一か月におよぶ第二回目のアフリカツアーを企画してくれるらしい。うまく補助金が集まるといいのだが…。しかし気候の違いには参った。フランスに戻ってから全員ひどい熱をだした。あまりにもひどいのでマラリアかとおもって恐ろしくなったがなんてことはない、単なる風邪だった。 次はフランス国内公演が待っている。 まず単発でブルターニュの田舎で公演したあと南仏のトゥールーズ周辺をツアーしてまわる。トゥールーズは「コンフィ・ドゥ・キャナール」という鴨料理が有名で楽しみだ。 でもアフリカ、ガボン名物の「猿の煮込み」や「クロコダイルステーキ」の刺激にはかなわないけどね…。

| アフリカツアー | 21:34 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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アフリカツアー・

 ガボン、カメルーン公演より 2004年1月14日~21日/ガボン         パート・       1月21日~26日/カメルーン   「ガボンはアフリカ大陸の赤道上にある国で油田があり、その上に位置するのがサッカーでセネガルとともに有名なカメルーン。ガボン、コンゴの国境沿いでは難民キャンプがありエボラ出血熱などの伝染病がある。どちらも公用語はフランス語。」 1/24、都会ドアラではストリートチルドレンたちに囲まれつつも、舞台は好評のうちに終わった。アフリカツアー打ち上げとして、地元フランス人シルヴァンの案内のもと、夜の街へ繰り出す。 彼はアフリカ赴任2週間目に、乗っていた長距離バスが横転し、乗客約40人のうち30人が死亡する大事故から、奇跡の生還を果たした。とにかくテンションがいつも高いので、なにか変なものを食べてるのか、と彼に聞いてみたら、バス事故以来生きることがとにかく楽しくなった、といっていた。 シルヴァンは夜のドゥアラの街ではなかなか有名人だ。金持ちも貧乏人も彼のまわりに群がってくる。ちょっとした歓楽街の王様だ。 さっそくシルヴァンおすすめの寿司屋に入る。アフリカに来るのも初めてならアフリカの寿司屋に入るのも初めてだ。その寿司屋は、地元ではもっとも高いレストランのひとつのようだが、目の前が海のためか刺身がうまい!黒人が着物姿ですし握っているのは何かヘンだったけど…。 そのあと街の中心地にひしめくクラブ街(踊る方)に繰り出す。娼婦がしつこく寄ってくるたんびに店を移動していたら、クラブを5軒はしごしていた。ここドアラはアフリカの遊び人にとってはもっとも熱い場所らしい。ちなみに僕の踊りを見たアフリカ人はみんな「ジェット・リー!」と叫んでいた。全員はぐれること無く朝6時にホテル帰着、爆睡。  朝…。昨日の夜あれだけ酒を飲んだのに爽快に目覚める。ホテルのプールに寝起きのまま飛び込む。あとの三人のメンバーも次から次へとやってきて、昨日のアフリカ最後の公演について語る。 ここのホテルはドアラでは最高級らしくプールサイドには金持ちそうな白人とアラブ人達が多い。なかでも40~60歳代の白人男と若い黒人女カップルが目を引く。彼等は全くといっていいほど会話が無い。黒人女はとびきり美しくそのことに自信を持っているようで、一緒にいる白人男の方は落ち着きが無くかえって目立つ。この街では娼婦とその女を買いにくる男達で経済が潤っていることは否めないだろう。  ぼくは泳ぎが苦手で、おなじく泳ぎの苦手なフレッドと50メートルをクロールで何本か競争する。ふたりともへとへとに疲れパラソルの下で昼寝。  夢を見た…、クジラに乗った王様に100円玉をもらう夢。きっと何かのご褒美に違いない。あしたもいい日になりますように…。

| アフリカツアー | 21:32 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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アフリカツアー・

ガボン、カメルーン公演より 2004年1月14日~21日/ガボン     パート3           1月21日~26日/カメルーン   「ガボンはアフリカ大陸の赤道上にある国で油田があり、その上に位置するのがサッカーでセネガルとともに有名なカメルーン。ガボン、コンゴの国境沿いでは難民キャンプがありエボラ出血熱などの伝染病がある。どちらも公用語はフランス語。」  21日。リーブルビルから飛行機にのり一時間ほどでカメルーンの首都ヤウンデに到着。カメルーンの首都ヤウンデではバッタもんサッカーTシャツをさっそくつかまされ、彼等の狡猾さを思い知る。  市場にアフリカのお面を買いにいき、30分近い交渉の末、マスク二つと革製のブレスレット等を日本円にして約4000円程で手に入れる。安い。    3日間いたヤウンデの町では「ニーハオ」とよく話しかけられた。アジア人はみんな中国人だと思っていて、ぼくも「ニーハオ」と元気良く答え、地元に住んでる中国人ということにしていた。あとちょっと簡単な芸を見せてやると「ジェットリー!」と呼ばれるようになった。そういえばカンフー映画俳優のジェットリーはアフリカ出身の中国人だったかなノ。 公演はなかなかの盛り上がりをみせた。いつもだったらこの劇場にはカメルーンにいる日本大使が観にくるらしいのだが、何かの式典で来れなかったらしい、残念。 ヤウンデ公演を終えカメルーン経済の中心地ドアラへ車で向かう。運転手のアブーは熱心なイスラム教徒で、ヤウンデにいた4日間を毎日一緒に過ごしたが、酒も飲まないし食べ物もほとんど菜食主義に近かった。いままで出会ったアフリカ人で一番まじめだ。ヤウンデに行く途中、検問のたびに頭の上にバナナやらサトウキビやらを頭の上のお盆に乗せた女性達が売りにくる。バナナを買う。甘くてうまい。ジャングルには取り放題のバナナがなっている。自然そのものを食っているんだなー、と実感。 明日からカメルーン経済の中心地ドゥアラでの日々が待っている。 パート4へ→

| アフリカツアー | 21:30 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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アフリカツアー パート・

ガボン、カメルーン公演より 2004年1月14日~21日/ガボン  パート・              1月21日~26日/カメルーン   「ガボンはアフリカ大陸の赤道上にある国で油田があり、その上に位置するのがサッカーでセネガルとともに有名なカメルーン。ガボン、コンゴの国境沿いでは難民キャンプがありエボラ出血熱などの伝染病がある。どちらも公用語はフランス語。」

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アフリカツアー ガボン/カメルーン

 ガボン、カメルーン公演より 2004年1月14日~21日/ガボン        パート・       1月21日~26日/カメルーン   「ガボンはアフリカ大陸の赤道上にある国で油田があり、その上に位置するのがサッカーでセネガルとともに有名なカメルーン。ガボン、コンゴの国境沿いでは難民キャンプがありエボラ出血熱などの伝染病がある。どちらも公用語はフランス語。」 …………………………………………………………………………………………… 1月14日、相棒パフォーマーのセバスチャン、照明兼音響のフレッド、マネージメントのジェフ、そして僕を合わせた4人で、パリからローマ経由でガボンの首都リーブルビルに到着。空港でマラリア感染の原因である蚊に、さっそく歓迎される。一応薬は飲んできたが、その薬以上に強い蚊が存在するらしくさっそくビビる。 街に出る。至る所に人が溢れ、みんな果物等の食料から洋服、携帯電話、テレフォンカードのたぐいまでありとあらゆるものを売り歩いている。外国人と分かってもそんなにしつこく売り込んでこないし、みんなのんびりしている。中央アフリカ諸国の中でも石油のおかげでこの国は裕福だ。社会的にも安定しているみたいだしノ。ただこの国の石油があと10年以内には枯れるそうで、石油経済に頼ってきたこの国の課題は山積みだ。  ガボンでは公演とワークショップをやって、地元ダンサーたちからアフリカンダンスを教わった。舞台だけで食べていくのは無理なようで、みんな副職を持っている場合が多い。元宗主国フランスにあこがれを持っている人が多く、地元の若いアーティスト達の多くが、パリへ演劇やダンスの勉強に行きたい、と言っていた。彼等からすると僕は外国人でありながら、フランスでその夢を叶えたひとりになるようだ。  毎日、湿気があり暑い。そして人々は、ひたすらのんびりしている。のんびりしているのはいいのだが、劇場付きのスタッフ達には参った。 朝、舞台仕込みにいってみるとしっかりガボン人の劇場スタッフ4人が時間どおりに待っている。「なかなかやるじゃないか…」と僕らが感心していた矢先、気付いたらスタッフのひとりの姿が見えない…。その後30分置きに、ひとりまたひとりと消えていく…。気が付いたら自分達だけになっていた。なんとか照明仕込みは終わったが、このときからアフリカ滞在中は常に照明のフレッドがスタッフのことで愚痴をこぼすことになる。  食事は魚がうまかった!毎日魚料理ばかり食べていた。他にも鳥の足の串焼き、猿やクロコダイルなどもあったが新鮮な魚にはかなわない。 パート・へ→

| アフリカツアー | 20:13 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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トゥーネから世界へ!



ベルギー、トゥーネのフェスティバル2004年にプログラムされた。行ったのは2年ぶり。
このときはいろんな人と再会したり出会ったなー。
ずいぶんみんなこのあと世界に出て行ったよな。

この写真に写ってるヤニーは現在フィンランドのサーカス学校卒業公演の演出やってるし、相棒のセバスチャンは音楽とアクロバットのグループを始めたし、ポリーヌはジャン・バティスト・アンドレのマネージメントでモロッコいったり今度は日本公演もいくようだし、僕らの照明やってくれたセシルはいまはシェルブールのサーカスと大道芸のフェスティバルのテクニカルディレクターになってしまったし、クップル・ノワールの二人組は日本でヌーボーシルクカフェなるものをやっていたかとおもっていたら、気がついたらヨーロッパに良くきてるし…。

このころは誰もこの先のことなどそうぞうできなかったもんなぁ。

| サーカスの世界 | 07:04 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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白ビールのうまい国といえば


ここでは毎年サーカスのフェスティバルをやっていた。いまでは年に2回かな…。
そういやサーカス学校の学生だったころ、ここのサーカスコンクールにセバスチャンと出場したよなー。
入賞できなくてベルギーワッフルやけ食いしたなー。


| サーカスの世界 | 07:07 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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